私たち東洋医学を学ぶもののバイブルである『黄帝内経 素問』『黄帝内経 霊枢』。
素問は東洋医学、鍼灸の総論的な内容で、霊枢は各論といえる内容になっている。
東洋医学では「癲」と「癇」は別々の病気であるととらえている。
癲は現代医学的な病名でいうと、統合失調症に似た症状を呈する。
癇はいわゆるてんかん発作を起こす。
ドラベ症候群は症状から「癇」であると考えられるが、「癲」と「癇」をより明確に理解するためにどちらも調べることにする。
原文テキストにて「癲」と「癇」をそれぞれ検索した。
その結果、
素問では、癲は5つ。癇は4つ記載があった。
霊枢では、癲は6つ。癇は2つ記載があった。
今回は素問の癲、5つのうち3つにどのようなことが書かれているかメモしておく。
(※同じ章に出てくるため)
【原文】
・・・帝曰.①癲疾何如.
岐伯曰.
脉搏大滑.久自已.
脉小堅急.死不治.
帝曰.②癲疾之脉.虚實何如.
岐伯曰.虚則可治.實則死.・・・
・・・・・・・・・・・・
黄帝曰.
黄疸.暴痛.③癲疾厥狂.久逆之所生也.
五藏不平.六府閉塞之所生也.
頭痛耳鳴.九竅不利.腸胃之所生也.
【解説】
これは『素問』通評虚実論篇(28)にある一節である。
全体の内容としては、虚実の概略、様々な脈証と死生の関係、四季の治方、雑多な病について論じられている。
(※論じられているというのは素問、霊枢ともに黄帝と師匠との問答形式で書かれているためである。)
病気とその脈の状態、死生についての話題の際に「①癲の場合はどうか?」と黄帝が師匠である岐伯に尋ねる。
岐伯は答える。
「脈が強く大きく、滑らかであるとき久しく経過した後に自然治癒します。
脈が小さく、堅く、引き攣れているときは死証であって治せません。」
黄帝が言う。
「②癲の病の場合、脈の虚実でいうとどうか?」
岐伯が答える。
「脈が虚であるときは治せますが、実しているときは死証であります。」
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その後、様々な病とその原因について黄帝がたくさんしゃべっていて、その最後の方に癲の話題が出てくる。
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黄帝が言われる。
・・・
黄疸や暴痛(にわかに一点あるいは全身が痛むこと)、あるいは癲のように狂人のような精神異常の発作を起こす病は、長い間の無理が原因である。
以上。
※なお、「精神異常」などの現在では差別的な言葉とされる表現がみられるが、現代の方々がイメージされるような表現ではないことに理解していただきたい。
「精神」とはもともとは東洋医学の言葉である。以下、漢方用語大辞典より引用。
精神【せいしん】
①人体の霊気。《霊枢 本神篇》「精神魂魄」
②神(しん)の概念である。生命活動の重要な一部分で、五蔵中の心(しん)と最も関係が深い。
ゆえに心は「神を蔵す」という。《霊枢 邪客篇》に「心は五臓六腑の大主なり、精神を舎す所なり」とある。
大主とは臓腑中、心の統率作用をあらわし、舎は寄舎の意味がある。
これにより、精神は神の代表的な表現とみなすことができる。
③精は精液、神は精神のこと。
④人体を主宰し、活力を充満させるものを、外面的に表現したもの。