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素問で出てくる「癲」1~3/5

私たち東洋医学を学ぶもののバイブルである『黄帝内経 素問』『黄帝内経 霊枢』。

素問は東洋医学、鍼灸の総論的な内容で、霊枢は各論といえる内容になっている。

 

東洋医学では「癲」と「癇」は別々の病気であるととらえている。

癲は現代医学的な病名でいうと、統合失調症に似た症状を呈する。

癇はいわゆるてんかん発作を起こす。

ドラベ症候群は症状から「癇」であると考えられるが、「癲」と「癇」をより明確に理解するためにどちらも調べることにする。

 

原文テキストにて「癲」と「癇」をそれぞれ検索した。

その結果、

素問では、癲は5つ。癇は4つ記載があった。

霊枢では、癲は6つ。癇は2つ記載があった。

 

今回は素問の癲、5つのうち3つにどのようなことが書かれているかメモしておく。

(※同じ章に出てくるため)

 

 

【原文】

・・・帝曰.①疾何如.

岐伯曰.

脉搏大滑.久自已.

脉小堅急.死不治.

 

帝曰.②疾之脉.虚實何如.

岐伯曰.虚則可治.實則死.・・・

 

・・・・・・・・・・・・

黄帝曰.

黄疸.暴痛.③疾厥狂.久逆之所生也.

五藏不平.六府閉塞之所生也.

頭痛耳鳴.九竅不利.腸胃之所生也.

 

 

【解説】

これは『素問』通評虚実論篇(28)にある一節である。

全体の内容としては、虚実の概略、様々な脈証と死生の関係、四季の治方、雑多な病について論じられている。

(※論じられているというのは素問、霊枢ともに黄帝と師匠との問答形式で書かれているためである。)

 

病気とその脈の状態、死生についての話題の際に「①癲の場合はどうか?」と黄帝が師匠である岐伯に尋ねる。

 

岐伯は答える。

「脈が強く大きく、滑らかであるとき久しく経過した後に自然治癒します。

 脈が小さく、堅く、引き攣れているときは死証であって治せません。」

 

黄帝が言う。

「②癲の病の場合、脈の虚実でいうとどうか?」

 

岐伯が答える。

「脈が虚であるときは治せますが、実しているときは死証であります。」

 

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その後、様々な病とその原因について黄帝がたくさんしゃべっていて、その最後の方に癲の話題が出てくる。

 

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黄帝が言われる。

 

・・・

 

黄疸や暴痛(にわかに一点あるいは全身が痛むこと)、あるいは癲のように狂人のような精神異常の発作を起こす病は、長い間の無理が原因である。

 

以上。

 

 

 

 

※なお、「精神異常」などの現在では差別的な言葉とされる表現がみられるが、現代の方々がイメージされるような表現ではないことに理解していただきたい。

「精神」とはもともとは東洋医学の言葉である。以下、漢方用語大辞典より引用。

 

 

精神【せいしん】

①人体の霊気。《霊枢 本神篇》「精神魂魄」

②神(しん)の概念である。生命活動の重要な一部分で、五蔵中の心(しん)と最も関係が深い。

ゆえに心は「神を蔵す」という。《霊枢 邪客篇》に「心は五臓六腑の大主なり、精神を舎す所なり」とある。

大主とは臓腑中、心の統率作用をあらわし、舎は寄舎の意味がある。

これにより、精神は神の代表的な表現とみなすことができる。

③精は精液、神は精神のこと。

④人体を主宰し、活力を充満させるものを、外面的に表現したもの。